カテゴリ:伊勢国の見どころ / 更新日付:2026/09/07 13:35 / 投稿日付:2026/09/07 13:35

伊勢国の探索第14回
【城跡編】第3回
菰野城跡(菰野陣屋跡/菰野町)
かつて三重県中北部は「伊勢国」と呼ばれていました。
このシリーズでは、伊勢国とその周辺に残る歴史・文化・産業をご紹介します。
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所在地
三重県三重郡菰野町菰野1490
(菰野町立菰野小学校周辺)
現在の菰野小学校一帯に、かつて菰野藩一万二千石の中心となった「菰野城」がありました。
菰野城と呼ばれていますが、天守を備えた大規模な城郭ではありません。
藩主の屋敷と政庁を兼ねた「陣屋」であったことから、「菰野陣屋」とも呼ばれています。
慶長6年(1601年)、初代菰野藩主・土方雄氏(ひじかた かつうじ)が菰野へ入り、かつての代官所跡に陣屋を構えたことが始まりです。
土方雄氏は豊臣秀吉に仕えていましたが、徳川家康暗殺未遂事件への関与を疑われ、父とともに常陸国へ追放されます。
その後、関ヶ原の戦いでは東軍に加わり、戦後、伊勢国三重郡内一万石と近江国二千石を与えられ、菰野藩一万二千石を立藩しました。
以後、土方氏は他国へ転封されることなく、明治を迎えるまで約270年にわたって菰野の地を治め続けました。
有力な大名が何度も入れ替わった城も多いなか、江戸時代を通して同じ一族が地域を治めたことは、菰野藩の大きな特徴です。
現在、陣屋の中心部は菰野小学校の敷地となっています。
かつての建物は残っていませんが、学校の西側と北側には城壕と築地の一部が残り、西南の一角には藩邸庭園の名残と「菰野城跡」の石碑が建っています。
振子川に面した場所には角櫓が築かれ、その東側では石積みの遺構も確認できます。
明治6年(1873年)の廃城時には、陣屋の建物が周辺各地へ移築されました。
藩邸の一部は菰野町下村の禅林寺へ、馬屋の一部は四日市市赤水の農家へ、角櫓は菰野町池底の農家へ移されたと伝えられています。
これらの建物は老朽化などにより解体されましたが、菰野町小島の金蔵寺へ移された城門は、現在も残されています。
さらに、かつて藩士たちが暮らした区域には「藩内」という地名が残り、道路の形からも南・北・東に設けられていた城戸の位置をうかがうことができます。
石垣や天守だけが、城の歴史を伝えるものではありません。
小学校の周囲に残る堀や築地、寺へ移された城門、そして今も使われている地名。
菰野城跡は、姿を消した陣屋の記憶が、現代の町並みの中に点々と残る場所です。
【実際に行ってみて】
昔に思いを馳せながら小学校をぐるっと一周しました。
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これからも【寺社編】【城跡編】【絶景編】【グルメ編】【産業編】【土木・建築編】など、伊勢国とその周辺の魅力を発信していきます。
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